ノビアパパはノビアさんのトイレ係

13 de Junio 2017

2017年4月17日から20日までのまさか。

もうこれを読む人では多分知らない人はいないと思うけれど、
愛猫ノビアが平成29年4月20日 午前3:50に死んでしまった。
もういないんです、ずっとずっと、まだまだ一緒にいると思ってたのに。
少なくとも20歳までは余裕で生きると思っていた。
根拠はあった。
今まで実家で飼ってた猫は毎年健康診断もしていなかったし、
ワクチンも行っていなかったが19歳過ぎまで生きた。
引き替えノビアに対してはちゃんと健康管理をしていたつもりだった。
毎年ワクチンもしていたし、10歳超えてから血液検査等も行っていた。
毎年目立った異常は見られなかった。だから、全然まだまだ一緒にいられるって・・・・。

昨年末から時々いつもと様子が違うなと思う事があり、その度病院へ連れて行ってたけど、特に何もない扱いで診察が終わってた。
先述の通り、まだまだ一緒に、、、って思ってたけど、体調の変化を感じるたびドキドキしていた。
4月17日の朝まで普通にご飯も食べていつものように過ごしてた。私もいつも通り仕事へ向かった。
夕方、先に帰宅した旦那っちから送られてきた写メに違和感を覚えた。

「いつもいないような場所にいる。まるで隠れてるみたいだ。顔つきもおかしい・・・。」

旦那っちに、慌てて折り返し連絡し、様子をしっかり見てくれと頼んだが、
その場から見る限りでは、よくわからないって返事。
そうじゃない、隠れてる場所から引っ張り出してよく見て、ともう一度頼んだ。そしたら、ちゃんと歩けていないって返事。
文字通りダッシュで家へ帰り、同時に病院に電話。もう閉院時間だが、症状を伝え何とか診てもらえるようお願いして連れて行った。

色々検査しながら様子を見るが回復しないので入院することに。
FIPか脳じゃないかと言われ、FIPは検査結果がわかるのは2日後、
脳はそこでは調べられないからと東大病院を勧められ、
その日は点滴を打ちながら、病院で一夜ノビアは過ごした。
翌4月18日の朝、病院へ向かう。様子は変わらない。全身まひ。
瞳孔は開いてて目が黒々している。顔が痙攣し、舌が出たまま。辛そうだった。

運良く翌々朝(4月19日)の東大病院での検査の予約ができた。
ラッキー!!!と思った。
だって原因がすぐにわかって、すぐに対処できて、これで何とかノビアを快方へ向かわせられるって思ったから・・・。
その日はご飯食べないと肝臓がダメになるから、ということで高栄養食を少しだけ胃に入れ、連れて帰った。

帰宅後、リビングに布団を敷いてノビアの横に並んで一緒に寝た。ノビアはずっとピクピク痙攣しながらも私を見続けていた。
翌朝早く目が覚めると、隣のノビアは眠っていた。寝顔を見て少しだけホッとしたら、それを察したノビアも起きた。またジーッって私を見つめた。
病院へ行くまでは時間があったのでノビアの写真を撮った。それが最後の朝の写真になるなんて本当に思いもしなかった。

病院で行ったMRIの結果は鼻の奥にできた悪性リンパ腫。
おそらくこの様子なら肝臓にも転移してるであろう、と。
昨年末からのおかしな様子の時に連れてきてたら良かったのか?と聞いたら
その頃からおかしかったら、今既にこんな状態じゃないです、と言われた。
そして、抗ガン剤治療しか方法は無い、それも治るということではなく、
今までのように自分で動いてご飯も食べられる生活をしばらく出来るようになる可能性がある、ということだった。
それでも良いから一刻も早く治療開始を、と懇願し抗ガン剤を早速始めてもらうことにした。
その薬が合うかどうかを見極めるため1~2.3日入院が必要という事になり、入院手続きを取った。
その際、誓約書に『万が一心肺停止になった際は蘇生措置を行いますか?』という質問があった。
「そんなん、まったく今のノビアに関係ないじゃん、だってどの薬が合うか見るだけなんだし」って思い込んでたけど、
質問には答えないといけないので「はい」と答えた。
「ノビア、頑張って」と声をかけ、体をなでて診察室を出た。

駐車場に向かいながら旦那っちに報告の電話をかけ、話し始めた途端、嗚咽が止まらなくなった。
暫く病院の駐車場で落ち着くまで待って、それから帰った。
だけどまっすぐノビアのいない家に帰ることができなかったので、ディズニー映画「モアナ」を観に行った。
内容、、、、あまり覚えてない。映像綺麗だったのは覚えてるけど、ただただ泣いていたので・・・。
泣きながらも、色々な覚悟を同時にし始めていた。
仕事を辞めてノビアの看病をする、近々行くと決めてた旅行はもちろんキャンセル。
これから暫く、いつまでかわからないけど、ノビアに寂しい思いさせないよう、ずっとついててあげようって。
だけど、その日の深夜、病院から電話がかかってきた。

心肺停止のため、蘇生装置を付けて今対応していると言われた。
「はっ!?何?何言ってるの?」と訳が分からぬまま、旦那っちと慌てて準備し、病院へ急いで向かった。
蘇生装置を付けられたノビアが横たわっていた。顔を寄せ名前を呼んだ。
半分開いた目の黒目がこちらを見た・・・・。
だが医師の話はこの装置を外せば呼吸はしていないし、心臓も機械で動かしている状態なので必然的に止まる、
この装置を付け続けても回復する事も難しいであろう、ということで
結局『安楽死』という手段を選択するしか残されて無い状況だった。
透明と黄色い液体の入った二本の注射器が運び込まれ、どちらが何のためのものだったかもう覚えてもいないが
薬が点滴を通して注入され、機械の音は段々変わって行き、ノビアは死んだ、と告げる音を出した。

「綺麗に洗ってきますから暫く待合室で待っててください」

1時間位待たされた後、きついシャンプーのまったくノビアとは違うニオイをまといバスタオルにくるまれ、
あったかい状態で連れてこられた。本当に温かい。そしてヤワラカイ。ただ、本当にキツイシャンプーの香り。
今までのノビアのニオイがすっかり消えてしまった・・・。
そしてピンクの耳、鼻、肉球はすっかり様子が変わり、血色を失っていた。
舌は結局少し出たままだった。
タオルにくるまれたまま抱っこをして連れて帰った。

外は新しい朝になっていた。すっかり明るくなっていた。

帰宅して、まずしたことは、ダンボール爪とぎソファを日が当たる場所へ持って行って
ノビアを日向ぼっこさせた。日向ぼっこさせてもなんだかあったかくならない・・・。
その後、私が座る側のソファのヘッドレストあたりがいつもの寛ぎ場所だったので
そこに横たわらせた。段々硬直してきているのを感じた。
それから再び抱っこし続けた。クビの後ろはすっかり硬くなってきていた。
時々鼻から汁を出していたのでふき取った。爪も切ってあげた。
爪切りを嫌がらないのは初めてだった。そして、最後の爪切りだった。
私も旦那っちも泣いたり泣き止んだりを繰り返した。
旦那っちは火葬手配をした。この日旦那っちは休みだった。
本当はノビアはただ、病院にいるか、退院のはずだったので
私はその日職場へ行き、退職の話をするつもりだった。
だから私の代わりにノビアのお見舞いかお迎えをしてもらうため
旦那っちに休みを取ってもらっていたのだ。
2人ともこんな日を過ごすためではなかった。

泣き止んでる隙に、ノビアのトイレを掃除し洗い、まだ残ってるトイレ砂や餌やケージやらまとめ、譲るために玄関に寄せた。
服など小物は一気に捨てた。どうしても、、、というモノだけ残し一気に片づけた。
何故かって?後になると感傷に浸ってずぶずぶになり、何も片づけられなくなると思ったし
いちいち悲しみ続けると思ったから。
無くても十分悲しんでるけども・・・。

ダンボール爪とぎソファとノビアの毛の詰まったカンカン←これが一番本当は片づけるべきものだったのかも。
遺骨、首輪、いつも寛いでた場所にあった敷物数枚だけ残った。

火葬は、なんと車に火葬台がついてる移動式のものがあるのだ。
旦那っち実家近くの駐車場スペースに来てもらい、そこで行った。
ノビアをコンクリートのような台にそのまま乗せた。そして台が炉の中に入れられ閉められた。
何かスイッチが入ると同時に一瞬だけ車の天井から火がボッという音と共に昇った。
火と共にいくつか灰が舞った。「何、今の灰は!?」と声をあげてしまった。
火葬業者(バイトみたいな頼りない人だった)が「ね、、、ねこ」と言った時、蹴り飛ばそうかと思った。
(質問した私の方が悪いですけどね)

1時間近く経った後、ノビアは人間と同じようにカルシウムになっていた。
箸(やトング)で骨壺に詰める儀式はまるで人間のようだった。
小さい小さい真っ白な骨壺に収められ人間のように白い布でその壺は覆われた。
家に連れて帰った骨壺は今はダンボール爪とぎソファの上に鎮座している。
ここまでが、4月17日から20日の晩までの4日間の一連の出来事。

私の今の想いとかまだまだ続けたかったが、ここまででこんなに長くなってしまったので
続きはまた次回。つっても直ぐ。なぜならそんなに長文にならないはずだから。

カテゴリー

アーカイブ

アーカイブ

ページTOPへ

ページTOPへ